踏切を越えて、玉葱やキャベツや何やらが有象無象に群れを成す畑の合間を縫うアスファルトの道を歩いていく。

次第に近付いてくる潮と泥の香りに鼻を擽られ、ようやくたどり着いたモルタルの地面と黒の手摺りにそっと触れた。

手摺りの向こうは小さな河口で、しっかり組まれた石で造られた真新しい防波堤には、既にフジツボが生えフナムシが穏やかに暮らしている。さほど離れていない対岸では、白い渡り鳥がぼんやりと空を眺めていた。

 

波のない海に映し出されているのは、どんよりとした曇り空。

今日はフライト日和ではないんだろう。見つめても微動だにしない鳥を視界から外して、少年はするりと柵を乗り越えた。

 

 

 

遠浅で、足を踏み入れれば簡単に泥に捕われてしまう海。

海と呼べるかも怪しいそれを、初めて見た時はあの人と一緒だったっけ。

「ヒガタと言うんだ」

記憶を掘り返し、真似て言ってみる。

「干潮になればどこまでも続く沼になる。満潮になればすっかり覆われてしまう。昔は潮干狩りでよく貝を取ったけど、今はなかなか大きいのが取れなくなってしまった」

夏には一緒に取りに行こう、ご飯にはできないけど蟹や魚を見れるから。

そう話してくれた。確か。

まだ夏には程遠いが、そのいつかが待ち切れなくてたまらなかった。

 

 

少年がここに迎えられたのは、11月のことだった。

早めにクリスマスの準備に勤しむ小さなショッピングモールに、テレビから流れる華やかな彩りを加えられた音。

決して豪華ではないけれど、素朴で暖かみのある景色に、少年は安堵を覚えていた。

ここに居なさい、と優しく諭されるような感覚だった。

 

本来は歌うために迎えられた筈だったのだけれど、いつしかそれだけではない日常になりつつあった。

一緒に笑い、一緒に楽しみ、時折喧嘩をする。本当は「使い手と歌い手」というだけの関係であるだろうに、友人とも恋人とも違う、よくわからない関係を二人は半年ほど続けていた。

敢えて言うなら、血の繋がらない兄弟のような関係を。

 

 

ディープグレーの空を見上げて、少年はふわりと息を漏らした。

もう白く曇ることはない息に、微かに春の香りが混じる。

これから見るだろう未知の世界に、自然と頬がほころんでいた。

不安はある。いつかはお別れする可能性だとて、無いわけではない。

でも、きっと大丈夫だろうという安心が勝っていた。あの人となら、と。

使い手としてはまだまだ技術が足りないけれど、それが全てではないことを少年は知った。

 

大事なことは、ちゃんと教えてもらったから、もう怖くはない。

 

少年は防波堤からゆっくりと立ち上がり、ぽんぽんと尻を叩いて塵を落とした。

曇り空で太陽は見えないが、お腹が空いてきたのでそろそろ3時だろう。

ポケットをまさぐると小銭の音がした。少し歩いて鯛焼きを買うか、向こうのスーパーで回転焼きにしようか悩む。

美味しいし余裕もあるので、鯛焼きにすることにした。つぶあんと、芋あんと、クリームとまた悩みながら歩きだす。

 

 

鼻をくすぐる潮の香りに混じって、雨の匂いが微かにした。

降ってきたら、鯛焼きを食べながら歌を催促しよう。

楽しくなるような、雨の歌を。