ケータイのプレイリストを見る。

デフォルトのもの以外には、「ローテンポ」と「ぴこぴこアップテンポ」しかない。

判りやすいというか、そのままというか。っていうかぴこぴこってなんだ、自分。

今は明るい気分じゃなかったので、「ローテンポ」のほうを選択。

やがて、緩やかな旋律が、小さなイヤホンから頭の中に流れてくる。

 

空気の振動、波でしかないそれに、何故人は心を揺り動かされるのだろう。

感情を鎮められ奮わせられ。まるで麻薬で洗脳でも受けているようだな。

 

そんなことをぼんやりと思う少年もまた、その波に心を委ねていた。

ゆらゆらと、くらげのように漂う心の辿りつく場所なんてない。

今はまだ、その穏やかな凪の真ん中に、独りで居たかった。

 

 

音の海に居る間は、周りの世界と切り離されて心地よかった。

まるで、ひとりっきりの星で火山の掃除をしている星の王子様のような気分。

寂しくはない。むしろ安心した。ここなら、誰も自分を傷つけたりしないと。

 

ただ、そういう平和は破られるためにあるようなもので。

「やぁ少年。また引きこもってるのかい?」

そう朗らかに、イヤホンを少年の耳から引っこ抜きつつ言い放ったのは、少年の顔見知りの女性だった。

年齢は三十路を少し超えた程度。しかし、見かけはその半分である。                             

「そんな暗い顔をして。たまにはボクの買い物にでも付き合ってみたらどうだ」

「…元から、こーいう顔だよ」

そう言って、再びイヤホンをつけようとする。それをがっしりと止められて、睨みあげると女性は気にした風も無く笑っていた。

「おやつぐらいは奢ってやろう。ほら、ほらさっさと行くぞ」

掴まれた左腕を、そのままぐいぐいと引っ張られて歩き出す二人。

ついていくなんて言ってない、という少年の言い訳なんか全く聞かず、その影は雑踏に消えた。

 

 

―――――――――――――    【 t.t. 】    ――――――――――――――

 

 

女性が連れてきたところは、華やかなショッピングモールだった。つい最近できたばかりの、主に女性向けの雑貨屋や服屋ばかり並ぶところだ。

クリスマスが近いのもあり、店内は若い女性客やカップルで最高潮に盛り上がっている。狭苦しいほどに。

そんな浮いた場所に居ることを、居心地悪そうにしている少年を他所に、女性は一人であーだこーだ言いながら買い物籠にモノを放り込んでいく。

兎のぬいぐるみ。カラフルな金平糖の入った小瓶。おもちゃのロケットランチャー。ちょっとオシャレで大きめのお椀。ガラス製のつゆ皿。えとせとら、えとせとら。

少年が呆れるほど詰め込んだあげく、容量が足りないと言い放って今度はカートを引き摺ってきた。

片耳でプレイリストの続きを聞きながら、その様を見ていた少年は、やっと自分が荷物持ちに呼ばれたのだと気付いた。

まぁ所詮そんなものか。曲が終わり、ピアノバラードからフォークソングへと変わるのを感じながら目を伏せる。

「いやぁ、仲間が多いとプレゼント選びも大変だな。好みは判るんだが、いかんせん量がなぁ」

なんて笑いながら、またカートにモノを放り込んでいく女性。カステラ形のぬいぐるみがあるってどういう店なんだろう。

少年が遠い目でその様を眺めていると、何かに気付いたように女性がこちらに向かって歩いてきた。

「何をしてるんだい?君のぶんだって買うんだぞ?」

「…べつに要らない」

「何故?」

不思議そうに首をかしげる女性。少年はそれに応えずに、放り出されたパンパンのカートを一瞥し、

「先輩の好物は、買わないんですか」

敢えての丁寧語で聞いてみた。女性は一瞬キョトンとして、

「だってみんな買ってくれるだろう、交換するんだからな。きっとみんな同じやつに決まっている」

自信満々に鼻を鳴らした。まぁ、彼女にプレゼントするって言ったら、大概満場一致なわけなんだけれど。

それくらい好みが知れている、それだけ彼女はいろんな人に愛されている。

そう思うと、選ぶほど好ましいと思えるものが無い少年は、少し憂鬱な気分になった。

「どうした?なんだ、ここには無いものなのか?」

わざとらしく顔を覗き込んでくる女性に、少年はさらに不機嫌になる。

そりゃあ無いかもな。と毒を吐きそうになって、飲み下した。

「俺はいーよ。だから、とっとと買って帰ろ。持つから」

「持ってくれるのは助かるが、これだけ持てるのかい?」

女性がカートを指差す。一番大きなものなのに、数百のアイテムをつぎ込まれて重さで潰れそうな事態になっていた。

一瞬少年が顔をしかめる。それを見てにやりと女性が笑い、「案ずるな」と胸を張る。

「もちろん増援は呼んである。言っただろう、今日は買い物に付き合えと。だからそんな隅っこでいじけてないで、一緒に楽しむがいい」

後ろでファンシー文具を楽しそうに弄る中学生と同じような笑顔で、女性は笑った。

 

とは言え、本当に少年の欲しいものはそこには無いので、楽しめといわれてもどうしようもない。

クマやネコのキャラクターアイテムには興味が無いし、おもちゃで遊ぶ年頃でもないし、お菓子で満たされるってわけでもない。

ショッピングモールの中にはメンズの服屋もあったが、特にオシャレにも興味はなかった。そのうえ、

「君には、こういうのも似合うと思うんだがなぁ?」

と女性が持ってきた服は、全部背中に「諸行無常」などが草書で書いてある、変なシリーズばかりだった。

「うーん。なにかいいものはないんだろうか」

とりあえず買ったプレゼントの山をロッカーに押し込み(入ったのが奇跡なくらいだ)、二人はモールの真ん中にある飲食スペースに居た。

露店のように、さまざまな店が乱雑に繰り広げられている広場。その真ん中にある噴水をとりまくベンチに、女性はカリッカリに揚げたシナモンラスクを、少年は普通のコーラを手に座り込んでいた。

サクサクといい音を立ててかじりつく女性を傍目に、少年はずるずるとコーラを吸い上げる。

見ようと思えば周りのカップルと同じように見えるだろうが、その間にはちょうど人一人分の隙間が開いていた。

女性の独り言に少年が応えないので、女性は尻だけでほんの少し近づいてみる。

ワンテンポ遅れて、少年がその分遠ざかる。

近づく。遠ざかる。近づく。遠ざかる。近づく。完全に女性は面白がっていた。

ベンチのはしっこギリギリにたどり着いてしまった少年を見て、女性が「しめた」とさらに近づいたとき。

「やめてください」

すくっと少年が立ち上がったので、寄りかかろうとした女性はバランスを崩してベンチに抱きつく形になった。

零れそうになったラスクをギリギリで守り通した女性は、こっちを見下ろしてくる少年を素直に見上げる。

「そっちこそ、何故も少し寄ってくれないんだい。せっかく一緒なのに」

「約束してたわけじゃない」

「ほう。約束してたら寄ってきてくれるのかい」

「そーいう問題でもない」

ふいと目を背ける少年。女性はそれを見て、またにんまりと笑ってみせる。

「なんだ。照れてるのか」

「誰が」

「君が」

まっすぐに言われ、少年は困惑する。照れてなんかないのに。と言いたげに口を尖らせると、女性はまた嬉しそうに笑った。

「ほら。ここに座りたまえ。一応これでもおデートなんだぞ」

「三十路のオバちゃんとデートって…」

「なんか言ったか?」

「いいえ何も」

すました顔で言う少年。仕方が無いと座り込んだその顔は、心なしか、翳りが薄れていた気がした。

 

結局いい案は出ないまま、二人は飲食スペースを後にした。

2階のバルコニーのような廊下を歩きながら、言葉を交わすでもなくウィンドウショッピングをしていく。

やっぱり女性向けが多いのが問題なのか。うーんと女性が悩み始めたころ、少年はひとつの店の前で立ち止まっていた。

そこはカード売り場だった。グリーティングカードやポストカード、お手製でそれらを作るためのシールやスタンプ、ステンシルなどを売っている場所だ。

クリスマスカードや年賀状の準備だろうか、やはりここも人が多い。少年は店内には入らず、表のショーケースをまじまじと眺めていた。

いろんな仕掛けを施した重そうなカードから、画用紙にさらっと描いたようなイラストカードが、一本の樅ノ木に短冊のように飾られている。

そのうちのひとつに、少年は釘付けになっているようだった。

「お?何かいいのでもあったかい?」

やっと気が付いた女性がトテトテと駆けてきて、少年の目線を追う。目的のものはすぐに見つかったようで、女性はふうんとうなずいた。

「なるほどな。じゃあ買ってくるから、君はおとなしくそこに居るんだぞ」

「え?」

女性が去ろうとした瞬間、初めてその存在に気が付いたように少年が声を上げた。店内に向かっていた足を止め、振り返って女性もキョトンとした顔をする。

そして、すぐにんまりと笑った。

「よほどそれが気に入ったんだな」

「別に、そーいうのじゃない」

「ほぅ?じゃあどうしてそんな熱心に見ていたんだい?」

「…なんとなく」

「ボクに気付かないくらいに?」

にやにや笑いがどんどんエスカレートしていく女性に、少年はふいと顔を背けた。

ああもう。この人はこれだから苦手だ。年上だからって、いつも自分のことを笑う。

それが厭な笑いじゃないから、尚更困る。

「…これくらい、自分でも買える」

「君は実に馬鹿だなぁ。お金云々じゃない、贈る贈られるってやりとりが重要なんだろう」

そしていつも上手に取られる。言いくるめられて、どことなく腹が立つ。

「ボクからの贈り物だ。遠慮なくもらってくれたまえ」

女性はそう言い残し、店内に消えた。

 

 

 

少年は、その姿を見送りつつ、無造作に、また片耳にイヤホンをつけた。

曲は、飲食スペースに着く前に一時停止させていた。女性が戻ってくるまではそうかからないだろうが、その間だけでも聞きたかった。

プレイリストを変更し、「ぴこぴこアップテンポ」を選択。さらにその中から曲を選択する。

 

疾走感のある綺麗なトランスが、少年の世界で流れ始めた。

 

 

 

――――― End